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深圳现存唯一的石拱桥:永兴桥

深センに現存する唯一の石製の太鼓橋:永興橋

発表時間 : 2022-12-31 07:40:00

永兴桥是深圳仅存的一座古代三孔石拱桥,位于宝安区新桥街道新桥社区清平古墟内,距今已有300多年的历史。

永興橋は深センに残っている唯一の古代の三孔石拱橋で、宝安区新橋街道新橋社区清平古墟に位置し、現在まで300年以上の歴史を有している。


清康熙年间(公元1662-1722年),新安县监生曾桥川修建了此桥,并命名为“永兴”,寓意永远兴旺。后因永兴桥“日久倾颓”,清乾隆五十年(公元1785年),新安县武生曾大雄、钦赐翰林曾联魁等倡捐重修。

清・康熙年間(1662-1722年)、新安県の監生である曽橋川がこの橋を建設し、「永興」と名付け、永遠に繁栄するという意味が込められている。後に「長い時間が経過し、老朽化した」ため、清・乾隆五十年(1785年)、新安県の武生である曽大雄、欽賜翰林である曽聯魁などが永興橋の再建を提唱した。


永兴桥为三孔墩式石拱桥,全长50米,面宽3.4米。桥身全用花岗岩条石砌成,桥头的望柱上雕刻有小石狮,桥面正中间的栏板上刻有二龙戏珠和双凤朝阳的浅浮雕图案,结构严谨,造型美观。

永興橋は三孔の墩式石拱橋で、全長50メートル、幅3.4メートルである。橋は花崗岩の方形石で積み上げられ、橋の親柱には小さな石獅子が彫刻され、橋の真ん中の高欄には二龍戯珠と双鳳朝陽の浅いレリーフ模様が刻まれ、精密な構造で、美しい造型を感じられる。


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永兴桥

永興橋


清嘉庆版《新安县志》记载:“永兴桥,在新桥村之西,锁前溪而跨两岸,当往来要冲,东接黄松岗、乌石岩诸路,西连云林、茅州诸墟。”永兴桥下,新桥河与茅洲河汇合注入珠江,因地理位置特殊,永兴桥曾在这一带的交通和经济发展中发挥过重要作用。清嘉庆年间,永兴桥东岸建立了清平古墟,又称清平街、桥头村;清末,一座高大的炮楼在永兴桥东侧拔地而起,它便是广安当铺,后被改建为新桥粮仓……如今人们站在永兴桥上远眺,依然能够看到这些保存至今的历史建筑。

清・嘉慶版『新安県志』には、「永興橋は新橋村の西にあり、前渓に立地し両岸にまたがり、往来の要衝となり、東は黄松岡、烏石岩などの道に接し、西は雲林、茅州などの墟につながっている」と記載されている。永興橋の下、新橋河と茅洲河が合流して珠江に注ぐ。特別な立地条件に恵まれ、永興橋はかつてこの一帯において交通と経済発展の中で重要な役割を果たした。清・嘉慶年間において永興橋の東岸に清平古墟が建てられ、清平街、橋頭村とも呼ばれた。清朝末期、永興橋の東側に大きな砲楼が建てられ、それが広安質屋で、後に新橋糧倉(食糧倉庫)に改築された。永興橋の上に立って眺めると、現在まで保存されてきた歴史的建造物を見ることができる。


1984年,永兴桥被公布为第四批深圳市文物保护单位,之后又再次修葺。宝安区政府对清平古墟、永兴桥以及桥下的人工湖开展了大规模全面整治,随着周边环境的修整重建,永兴桥也吸引了越来越多的游客驻足观瞻。

1984年、永興橋は第4弾の深セン市文化財保護単位として公布され、その後再び修繕された。宝安区政府は清平古墟、永興橋及びその下の人工湖に対して大規模かつ全面的な整備を展開した。周辺環境の整備と再建に伴い、永興橋もますます多くの観光客を引きつけている。


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来源:深圳市档案馆、i深圳

提供元:深セン市档案館、i深セン


编译:深圳政府在线、GDToday、Shenzhen Daily

編集・翻訳:深セン市政府ポータルサイト、GDToday、Shenzhen Daily