对深圳人来说,“二线关”或许是一道年代的分水岭——它既是“老深圳”们心中难以忘怀的记忆,也是“新深圳”们仅略有耳闻甚至闻所未闻的存在。“二线关”其实是一条特区管理线,正是这条管理线,将特区分成了特区内和特区外,也就是俗称的关内和关外。
深セン人にとって、「二線関」は年代の分岐点を象徴するものの一つと言えるかもしれない――「年配の深セン人」たちにとってはそれが心の中で忘れられない記憶だが、「若い深セン人」たちにとっては耳にしたことがある程度、または聞いたこともない存在である。「二線関」とは深セン経済特区管理線のことだ。つまりこの管理線こそが深セン経済特別区を特区内と特区外に、俗に言う「関内」と「関外」に分けたのである。
那么,这条特区管理线的建设又经历了怎样的过程呢?且听小i为您道来。
では、この特区管理線はいかにして設立されてきたのだろうか?
1981年召开的广东、福建两省经济特区工作会议提出,深圳经济特区要尽快建立特区与非特区的分界线。
1981年に開催された広東省・福建省の経済特区工作会議で、深セン経済特別区は特区外との境界線を早急に設立することを求められた。
1982年2月,深圳市二线建设指挥部成立。同年6月,国务院批准同意《广东深圳市经济特区二线设防和管理方案意见的报告》,确定特区二线以“全线设防(不以天然屏障作为防线),严密控制,综合管理”为原则。
1982年2月、深セン市二線建設指揮部が設立された。同年6月、国務院は『広東深セン市経済特区二線設置と防衛と管理方案の意見に関する報告』を承認し、特区二線が「全線で設置・防衛し(自然の障壁を防御線としない)、厳しくコントロールし、総合的に管理する」ことを原則とすることを明確にした。
6月,深圳经济特区管理线工程动工兴建。工程设防初步设计共分为85个单项工程,主要在进出特区与内地之间的背仔角、盐田、沙湾、布吉、白芒、南头6个公路口设置联检站,在姑婆角、大梅沙建造两个海上公安检查站,沿特区分界线内侧山脚,东起背仔角,西至南头安乐村海边修筑巡逻线,并在沿线架设铁丝网,铺设照明线、供电和通讯线路等。
同年6月、深セン経済特区管理線建設プロジェクトが着工。同プロジェクトの建設は初歩的に計85の工事項目に分けられ、主に特区と中国内陸部との間に出入りする背仔角、塩田、砂湾、布吉、白芒、南頭の6つの道路に共同検査所を設置し、姑婆角、大梅沙に2つの海上公安検査所を設立することである。また、特区境界線の内側の麓に沿い、東は背仔角から、西は南頭安楽村の海辺までにパトロールルートを建設すると同時に、沿線に鉄条網を架設し、照明線、電力供給・通信回線などを敷設すると計画された。
1984年,工人们架设深圳经济特区管理线。(图片由罗湖区档案馆提供)
1984年、労働者たちは深セン経済特区管理線を架設していた。(写真は羅湖区档案館より)
1984年7月,特区管理线基本建成,并自8月1日起试行管理。1985年3月13日,特区管理线建设工程经国家验收委验收合格并正式交付使用。1986年4月1日,经过三年多的建设,特区管理线正式启用,管理线全长为84.6公里,沿线设有17个检查站和23个耕作口。1992年至1993年,特区管理线更新、增建了隔离线8公里铁丝网(线网改为钢板网)及15公里网体基础墙。
1984年7月、特区管理線はほぼ完成し、8月1日より試行管理されていた。1985年3月13日、特区管理線建設プロジェクトは国家検収委員会の検収に合格し、正式に引き渡して使用を開始した。1986年4月1日、3年以上の建設工事を経て、特区管理線が正式に開通した。当時、特区管理線は全長84.6キロメートル、沿線には17ヶ所の検査所と23ヶ所の耕作口が設置されていた。1992年から1993年にかけて、特区管理線は鉄条網8キロ(鋼板網に変更)とその網型基礎壁15キロを更新・増築した。
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来源:深圳市档案馆、i深圳
提供元:深セン市档案館、i深セン
编译:深圳政府在线、GDToday、Shenzhen Daily
編集・翻訳:深セン市政府ポータルサイト、GDToday、Shenzhen Daily