龙津石塔,又称花塔公和渡头石塔,建于南宋嘉定十三年(公元1220年),距今已有八百年的历史,虽然塔身仅高0.6米,却被誉为“深圳第一塔”。在著名古建筑专家张驭寰所著的《中国佛塔史》中,300页的书专门用了一个章节来介绍它,足见其历史,艺术和文物价值。
龍津石塔は、花塔公や渡頭石塔とも呼ばれ、南宋・嘉定十三年(1220年)に建てられ、800年もの歴史を有している。同塔の高さはわずか0.6メートルにも関わらず、「深セン第一塔」と称されている。有名な古建築専門家の張馭寰氏が著した『中国仏塔史』では、この300ページのうち1章で龍津石塔を紹介した。このことはその塔の歴史的、芸術的、及び文化財的な価値を証明するのに十分である。
这座古老的石塔位于宝安区沙井镇西北端沙井村桥东五巷,是深圳历史悠久的确凿物证。清嘉庆版《新安县志》记载:“龙津石塔在邑之三都沙井村河边。宋嘉定年间盐大使建石桥于沙井村东北,桥成之日,波涛汹涌,若有蛟龙奋跃之状,故立塔于上镇之。”沙井,古时又称龙津、涌口里和归德场,是广东十三盐场之一,“盐大使”则指归德盐场盐官承节郎周穆。沙井地区水网密布,龙津河河口外的巨浪也时常肆虐两岸,为了保证盐贩开市,方便居民出行,周穆筹建了横跨龙津河的龙津桥。
この古い石塔は、宝安区沙井鎮の北西にある沙井村橋東五巷に位置し、深センが悠久の歴史を有することを証明する物証である。清・嘉慶版『新安県志』には、「龍津石塔は邑の三都沙井村の河辺にある。宋・嘉定年間に塩大使が沙井村北東に石橋を建てた。橋ができた日、波は蛟竜が躍るように荒く、その上に塔を建てて鎮めた」と記載されている。沙井は、古くは龍津、湧口里、帰徳場とも呼ばれ、広東にあった13カ所の塩場の一つであり、「塩大使」は帰徳塩場の塩官承節郎の周穆を指す。沙井には河川が多くあり、龍津河の河口では高波もしばしば両岸で猛威を振るっていた。塩売りの販売を保障し、住民の移動を便利にするため、周穆は龍津河に架かる龍津橋をかけた。
如果去现场观看石塔,会发现它并不高大,经过百年风霜,塔身雕刻字迹已模糊不清,反而显得更加厚重。档案资料显示,整个石塔呈四方柱形状,由塔帽、塔身、须弥座三部分组成,均用粗砂岩雕刻而成。塔帽呈四角亭样式。塔身长宽均为0.44米,高0.6米,正面雕凿佛龛,背面雕刻“嘉定庚辰立石”。塔须弥座平面呈方形,长、宽均为0.56米,高0.29米。四角浮雕竹节角柱,正面刻宝相花万字。
現場で石塔を見ると、その高さはそれほど高くない。百年の風霜をしのび、塔身に彫刻された文字はぼやけているが、その故にさらに重厚感に溢れている。档案(公文書)によると、石塔全体は四角い柱の形をしており、塔の先端部分と塔身と須弥座からなり、いずれも粗砂岩で彫刻されている。塔の先端部分は、四角亭の形を呈している。塔身の縦・横ともに0.44メートル、高さは0.6メートルで、その正面に仏壇を彫り、背面に「嘉定庚辰立石」と刻んだ。塔の須弥座は平面が正方形で、縦・横とも0.56メートル、高さは0.29メートルである。四隅に竹節隅柱を浮き彫りにし、正面に宝相華文を彫った。
龙津石塔
龍津石塔
龙津石塔作为石佛塔遗存,造型上有晚唐遗风,是研究深圳地区宋代以至唐代建筑的实物例证;同时,对于研究这一时期深圳地区的政治、经济、文化和风情民俗也有重要价值。2000年、2003年、2015年,龙津石塔分别被公布为镇级文物保护单位、区级文物保护单位和省级文物保护单位。龙津石塔等一系列文物的发现和保护,是对深圳历史文化的深情追溯,在一点一滴中形成了深圳独特的文明脉络。
石仏塔の遺構として残される龍津石塔は、造形には晩唐の遺風が残り、深センにおける宋代ないしは唐代の建築を研究する実物の例証である。同時に、その時期において深センの政治、経済、文化、及び風習を研究することにも重要な価値がある。龍津石塔は2000年に鎮レベルの文化財保護機構、2003年に区レベルの文化財保護機構、2015年に省レベルの文化財保護機構にそれぞれ指定された。龍津石塔など一連の文化財の発見と保護は、深センの歴史と文化に対して深い感情が込められた探究であり、そのうちに深センならではの文明の脈絡を徐々に形成している。
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来源:深圳市档案馆、i深圳
提供元:深セン市档案館、i深セン
编译:深圳政府在线、GDToday、Shenzhen Daily
編集・翻訳:深セン市政府ポータルサイト、GDToday、Shenzhen Daily