1979年9月,按照国务院、中央军委的命令,中国人民解放军基建工程兵冶金系统调集五个建制连共1041人组成先遣团,从鞍山市来到深圳,拉开了基建工程兵建设深圳经济特区的序幕。
1979年9月、国務院と中央軍事委員会の命令に従い、中国人民解放軍のインフラ建設工事兵の冶金組織は5つの建制連隊1041人からなる先遣団を結成し、中国東北部の遼寧省に位置する鞍山市から深センへと派遣した。こうしてインフラ建設工事兵による深セン経済特区建設の幕が上がった。
1982年秋,中央再次调拨近两万基建工程兵来到深圳。那时的深圳,毫不夸张地说,基本上是荒坡野岭,杂草丛生,工程兵们用竹子搭建了一排简易竹棚作为临时住所,旁边就是坑坑洼洼的泥地,远处是不见人烟的山包。乐观的战士们戏称这排竹棚军营为“竹叶宾馆”。炎热的夏天,蚊虫肆虐,高温难耐,最难以忍受的是,靠近大海却缺少可以饮用的淡水。
1982年秋、中央政府は再び2万人近くのインフラ建設工事兵を深センに派遣した。当時の深センはほとんど荒れ果てた山ばかりで、雑草が生い茂っていた。工事兵たちは竹で作られた竹小屋を仮設住宅にした。あたりはでこぼこした泥だらけの土地で、遠くは人家の煙が一筋も見えない山であった。それにもかかわらず、楽観的な兵士たちは、ふざけて竹小屋の兵舎を「竹葉ホテル」と呼んだ。炎天下の夏、蚊が猛威を振るい、暑くてたまらなかった。最も耐え難いのは、海に近いにも関わらず飲むことができる淡水が不足していることであった。
“竹叶宾馆”(图片为朱雅智提供)
「竹葉ホテル」(写真は朱雅智さん提供)
除了物质生活的极度匮乏,极端变化的天气也给基建工程兵们带来了严峻的考验。档案资料记载,1983年夏天,一场熊熊烈火吞噬了“竹叶宾馆”附近方圆23000平方米的土地和基建工程兵二十三栋简易营房。火苗直窜到30多米的高空,烧毁财产价值约70万元。祸不单行,9月9日晚,一场百年不遇的十二级台风挟着暴雨,以每小时20公里的速度狂袭深圳长达二十四小时之久。碗口粗的树被连根拔起,电线杆被拦腰折断,卡车被掀翻,官兵们刚搭起来的竹棚连同被盖、锅盆、碗筷全被卷上了天……部队损失了几百万元。
極めて乏しい物質的生活に加え、急激に変わる天気もインフラ建設工事兵たちに厳しい試練をもたらした。档案(公文書)の記載によれば、1983年夏、「竹葉ホテル」近くの23,000平方メートルの土地とインフラ建設工事兵が住んでいた粗末な兵舎23棟が燃え盛る炎に飲み込まれた。炎は30メートル以上にまで燃え上がり、約70万元相当の財産が焼失した。災いはそれだけには留まらず、同年9月9日の夜、100年ぶりの12級台風が豪雨と共に時速20キロメートルで深センを24時間にわたり襲った。茶碗の口ほど太い木は根こそぎ抜け、電柱は折れ、トラックはひっくり返り、将兵たちが建てたばかりの竹小屋は布団や鍋鉢や茶碗・箸とともに空に巻き上がっていった……部隊は数百万元の損失を被った。
但这些困难并没有摧垮官兵们的斗志,两万基建工程兵把自己的命运和深圳这座迅速崛起的城市紧密结合在一起,与特区同呼吸、共患难,镌刻下了一段火热年代里激情燃烧的记忆。
そうした困難にも関わらず、将兵たちの闘志は打ち砕かれることなく、2万人のインフラ建設工事兵は自分の運命を深センという急速に台頭した都市と緊密に結びつけ、特区と共に呼吸し、苦難を共に乗り越え、その時代において都市の発展のために熱い情熱を捧げ奮闘する記憶を刻みつけた。
1983年9月15日,为了加强特区基建力量、加快建设步伐,两万基建工程兵实现了集体转业,改编为深圳市属建筑施工企业的职工。这两万名没有军章、帽徽却身穿绿军装的“特殊市民”,成为了当时深圳经济特区一道亮丽的风景线。
1983年9月15日、特区のインフラパワーを強化し、建設のペースを速めるため、その2万人のインフラ建設工事兵は集団での転業を実現し、深セン市所属の建築施工企業の従業員に改編された。軍章も帽章もなく緑の軍服を着たその2万人の「特別な市民」は、当時の深セン経済特区の美しい風景の一部となった。
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来源:深圳市档案馆、i深圳
提供元:深セン市档案館、i深セン
编译:深圳政府在线、GDToday、Shenzhen Daily
編集・翻訳:深セン市政府ポータルサイト、GDToday、Shenzhen Daily