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本地干部学习普通话

深センの地元幹部が「普通話(標準語)」を学ぶ

発表時間 : 2023-01-20 07:40:00

深圳在建市前是一个多方言共存区,主要有宝安粤语、龙岗客语两大方言,大鹏话、疍家话等小方言语种并存。这些方言地理分布形式多样,交界地区存在交错、相连的情况,展示了一部人民迁徙、交融的历史。

深センが市として建設される前は異なる方言がたくさん存在していた。主に宝安区の広東語、龍崗区の客家語の2大方言、また大鵬語や疍家語などの方言が共存していた。これらの方言は地理的分布が多様で、境界地域が交錯したり、合流したりすることがあり、人の移動・融和の歴史を示している。


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深圳方言分布图

深センの方言分布図


今天的深圳仍是一座典型的移民城市,云集了来自全国各地的创业者,全国六大方言——北方话、客语、吴语、闽语、湘语、赣语均在社会层面使用,但沟通着社会各阶层最广泛的语言则是普通话。

現在の深センは依然として典型的な移民都市であり、中国各地からの起業者がここに集まっている。全国の6大方言である北方語、客家語、呉語、閩語、湘語、贛語はすべて社会で使用されているが、社会の各階層で最も広く使われるのは普通話(標準語)である。


然而,时光倒退回20世纪80年代,深圳当时还是全国公认的普通话“沙漠”。因此,大力推进本地干部学习普通话,成为当时“推广普通话”工作的重要举措之一。

ところが、1980年代に入っても、深センは全国的に見て普通話の「砂漠」状態であった。そのため、地元幹部の普通話学習を大々的に推進することは、当時の「普通話普及」事業の重要な措置の一つとなった。


很少有人知道,“推普”这项工作,早在宝安县改县建市(1979年3月,宝安县改设为深圳市)之前就开始了。1973年5月,宝安县革命委员会印发《关于进一步推广普通话的通知》,已经把推广普通话作为一项重要工作来抓。由于宝安县多方言汇集,又有国际往来的口岸,语言的统一,有利于社会主义的建设和发展。因此,要求各个行政、企事业单位应大力提倡干部、职工带头学习和宣传普通话。这一举措为推进本地干部讲普通话开创了良好局面。

「普通話普及」という事業が、宝安県が県から市に変更される(1979年3月、宝安県が深セン市に変更された)前から始まっていたことを知っている人はまれだろう。1973年5月、宝安県革命委員会は『普通話のさらなる普及に関する通知』を印刷・配布し、すでに普通話の普及を重要な事業として推進した。宝安県にはたくさんの方言があり、また国際的な往来のために設立された口岸(通関地)もあるため、言語の統一は、社会主義の建設と発展にとって有利である。それを配慮した上で、各行政機関、企業・公的事業部門は幹部職員が率先して普通話の学習とその宣伝を大いに提唱することが要求された。この措置は地元幹部が普通話で会話することを推進するための良好な局面を切り開いた。


深圳建市后,随着对外开放程度的扩大,“推普”工作更加紧要和迫切。全国各地的建设者、来深投资的外商,迫切需要良好的交流与合作。如何让大家顺畅地沟通?用普通话统一深圳的语言,就是有效的解决方式。因此,广东省和深圳市都十分重视“推普”工作的落实。

深センが市として建設された後、対外開放の拡大に伴い、「普通話普及」はますます重要になり、差し迫っていた。中国各地の労働建設者や投資にやってきた外資系企業に対応するため、良好な交流と協力を切実に必要としている。どうすれば全ての人がスムーズにコミュニケーションが取れるだろうか。普通話で深センの言語を統一することは、効果的な解決策だとされた。そのため、広東省と深セン市はいずれも「普通話普及」の定着を非常に重視していた。


为了进一步加快全省“推普”工作,发挥本地干部带头说普通话的示范作用,1984年9月,广东省委办、省府办下发文件,明确全省区级以上机关单位的干部职工,需基本做到在办公、会议、对外洽谈中使用普通话,并定期接受培训和考察。同月,深圳专门成立了推广普通话办公室。同年12月,深圳还举办了首届“讲普通话比赛”。1985年1月8日,深圳市政府提出,在两三年内实现全市普通话化,并将考核普通话作为干部职工在定级、晋升,新招和调进的门槛。这一系列举措,让深圳初期的“推普”工作扎实稳进,助力深圳逐渐发展为一座对内扩大交往、对外积极开放的国际化文明城市。

全省の「普通話普及」をさらに加速させ、地元の幹部が率先して普通話を話す模範的な役割を発揮するために、1984年9月、広東省委員会弁公室、広東省政府弁公室は文書を通達し、全省の区レベル以上の機関単位の幹部職員が、事務、会議、対外商談で普通話を使用し、定期的に訓練と視察を受ける必要があると明確にした。同月、深センは専門的に普通話普及事務室を設立した。同年12月には、深センで第1回「普通話コンテスト」も開催された。1985年1月8日、深セン市政府は、2~3年以内に全市での普通話化を実現し、普通話の審査を幹部職員の職級、昇進、新規採用、及び部門調整の基準とすることを提案した。先述した一連の措置は、深センの初期の「普通話普及」を着実に促進させ、深センが対内交流を拡大し、対外的には積極的に開放していく国際化した文明都市に発展することをバックアップした。


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来源:深圳市档案馆、i深圳

提供元:深セン市档案館、i深セン


编译:深圳政府在线、GDToday、Shenzhen Daily

編集・翻訳:深セン市政府ポータルサイト、GDToday、Shenzhen Daily