位于罗湖区爱国路3001号的东湖丽苑是中国内地最早的商品房开发项目之一,它的建成不仅展现了深圳经济特区土地的价值,也开拓了土地有偿使用的“先河”。
羅湖区愛国路3001号にある東湖麗苑は、中国内陸部で最初の分譲住宅開発プロジェクトの一つである。その建設は深セン経済特区の土地の価値を示すのみならず、土地の有料使用の「先駆け」ともなった。
1979年,深圳建市之初,深圳市房管局接到了一项来自中央的任务——给前来深圳支援的干部建宿舍,包括市政府机关人员和市属企业职工的住房,一年之内要建成两个小区,总计240套,粗略估算只把征地费和材料费加以来至少也要200万元,但建设经费仅划拨了50万元。
1979年、深センが市として建設された初期、深セン市住宅管理局は中央からのある任務を受けた。それは深セン市に支援に来た幹部にドミトリーを建設すること。市役所のスタッフと市所属企業の従業員に供する住宅を含め、1年以内に小区(団地)2つ、計240戸の住宅を建設することが要求された。ところが、大まかに計算してみると、土地収用費と材料費だけを加算しても少なくとも200万元かかるのに、建設費は50万元しか配分されていなかった。
建楼,钱从哪里来?
では、住宅を建設するお金はどこから捻出したのだろうか。
当时与深圳仅一河之隔的香港楼市十分繁荣,资料显示,1968年至1973年,香港启动了“新市镇开发计划”,并于1972年制定了“十年建屋计划”,有效提高了港人住房品质,使得房价飙升,为香港财政收入积累了大量财富,这让时任房管局副局长的骆锦星看到了土地的价值所在。
当時、深センと川だけで隔てられている香港の不動産市場は非常に繁栄していた。資料によると、1968年から1973年にかけて、香港は「新市鎮開発計画」をスタートさせ、1972年に「10年住宅建設計画」を制定し、香港の人々の暮らしの品質を効果的に向上させたことで、住宅価格を高騰させ、香港の財政収入に多くの資金を蓄積した。それにより、当時の住宅管理局副局長だった駱錦星氏は土地の価値を目の当たりにしたのだった。
然而在1979年的中国大陆,土地采取的是高度严格的计划管制体系,当时《中华人民共和国宪法》明确规定:任何组织或者个人不得侵占、买卖、出租或者以其他形式非法转让土地。也就是说,这时的土地并不具备商品属性。
ところが、1979年の中国内陸部では、土地に対しすごく厳格な計画規制システムが課されていた。当時の『中華人民共和国憲法』では、いかなる組織や個人が土地を横領、売買、賃貸、またはその他の形式で不法に譲渡してはならないと明確に規定していた。つまり、当時の土地には商品属性が備わっていなかった。
如何把土地变成黄金?骆锦星决定以全新的思维方式寻求出路。他翻开《列宁全集》,找到了这样几句话:
どのようにして土地をお金に変えるのか。駱氏は新しい考え方で活路を求めることにした。駱氏は『レーニン全集』をめくり、次のような言葉を見つけた。
消灭土地私有制,并不要求消灭地租,而是要求把地租——虽然是用改变过的形式——转交给社会。
「土地私有制の消滅は、地租の消滅を要求するのではなく、地租を変えた形で社会に渡すことを要求するのである。」
这短短的几句话,是当时深圳探索开展土地改革的唯一依据,也让骆锦星茅塞顿开。
この短い言葉は、当時深センが土地改革の展開を模索する唯一の根拠となり、駱氏は目から鱗が落ちた。
他拿着《列宁选集》迅速找到市领导,征得同意后,决定以“贸易补偿”这种特殊的方式与港商合作。这种方式是由深圳政府出地,港商出钱盖房,利润双方分成来获取资金。
駱氏は『レーニン選集』を持って速やかに市の指導者のところへ行った。同意を得た後、「貿易補償」という特別な方法で香港地区の企業と協力することにした。深セン政府が土地を提供する一方、香港企業が資金を出して住宅を建設し、双方は獲得した利益を分けて資金を得たのである。
1979年12月31日,香港妙丽集团董事长刘天就来到深圳,签下了《建设与出售深圳华侨新村楼宇协议书》。该协议书明确,深圳市政府出让土地使用权、港商提供盖楼所需资金并负责销售,所得利润由深圳、港商各占85%、15%的比例进行分配。这次合作,让土地使用与获得资金有了实质联系。
1979年12月31日、香港妙麗グループの劉天就董事長は深センを訪れ、「深セン華僑新村ビルの建設と売却に関する合意書」に署名した。同合意書は、深セン市政府が土地使用権を譲渡し、香港企業がビルを建設するための必要な資金を提供するほか、販売を担当し、得た利益は深セン、香港企業がそれぞれ85%、15%の割合で分配することを明らかにした。今回の協力によって、土地の使用と資金の獲得を実質的に結びつけることとなった。
档案资料显示,东湖丽苑占地面积33000平方米,分三期安排兴建。第一期、第二期均为两大幢六小幢六层楼,6480平方米,分别于1980年7月、10月动工;第三期包括一幢二十八层大厦,两幢六层商住楼,五座花园别墅以及幼儿园、游乐场及附属设施,占地约18103平方米。
档案(公文書)によると、東湖麗苑の敷地面積は33,000平方メートルで、3期に分けて建設を計画していた。第1期、第2期はいずれも大きなビル2棟・小さなビル6棟・6階建てで、6480平方メートルに達し、それぞれ1980年7月、10月に着工した。第3期には28階建てのビル、6階建ての住宅兼用オフィスビル2棟、ガーデンヴィラ5つ、及び幼稚園、遊園地、付属施設が含まれ、敷地面積は約18,103平方メートルであった。
1981年5月12日,深圳市计划委员会发布《关于湖滨新村第二期、东湖丽苑第三期工程计划的通知》。
1981年5月12日、深セン市計画委員会は「湖畔新村第2期、東湖麗苑第3期施工計画に関する通知」を発表した。
当时,东湖丽苑第一期108套房源在香港妙丽房产购房中心销售,售价为2730元/平方米,比香港楼市价格便宜一半,仅3天就销售一空。东湖丽苑第一期、第二期为深圳市政府积累了500万元的收入。
当時、東湖麗苑の第1期108軒の住宅は香港妙麗不動産購入センターで販売され、その価格は2,730元/平方メートルで、香港の不動産市場の価格より半分安く、わずか3日で売り切れた。東湖麗苑の第1期、第2期は深セン市政府に500万元の収入を蓄積した。
庆祝东湖丽苑落成典礼
東湖麗苑の落成式を祝う現場
在深圳东湖丽苑开发的同时,广州也与港商合作开发了商品房小区东湖新村。随后,深圳住房商品化的脚步开始加快,越来越多的外商前来投资,深圳的土地逐渐被盘活。
深センが東湖麗苑を開発していたと同時に、広州も香港企業と協力して分譲住宅団地の東湖新村を開発した。その後、深センの住宅商品化の歩みが加速し始め、ますます多くの外資系企業が投資にやってきて、深センの土地は徐々に活用されるようになった。
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今日の一言メモ:東湖麗苑は羅湖区愛国路3001号に位置している。愛国路についてのエピソードはございますか。「i深セン」wechat公式アカウントをフォローし、コメントをいただいた方からラッキーな方にプレゼントをお届けします。
来源:深圳市档案馆、i深圳
提供元:深セン市档案館、i深セン
编译:深圳政府在线、GDToday、Shenzhen Daily
編集・翻訳:深セン市政府ポータルサイト、GDToday、Shenzhen Daily