在水资源匮乏的时期,深圳水库承担起了孕育深港两地生命的重要使命。
水資源が乏しかった時代、深センダムは深港(深セン・香港)両地の人々の生命を育む重要な使命を担った。
二十世纪五十年代,宝安县(深圳市前身)缺水情况严重,几十万亩农田缺乏水利灌溉设施,常常“三天下雨受淹没,七天无雨受旱”。与此同时,另一边的香港也饱受水荒之苦,居民生活受到极大影响。为解决深港地区缺水问题,宝安县在广东省委、惠阳地委的倡导和支持下,以及广东省水利厅的指导下,决定兴建深圳水库。
1950年代において、宝安県(深セン市の前身)は深刻な水不足に陥っており、数十万畝(ムー)の農地には水利・灌漑施設が不足していた。それと同時に、香港も水不足に苦しみ、住民の生活は大きな影響を受けていた。深港地区の水不足問題を解決するため、宝安県は広東省委員会、恵陽地方委員会の提唱と支持の下、および広東省水利庁の指導の下で、深センダムの建設を試みた。
1959年8月19日,广东省委批复同意修建深圳水库。《广东省水利电厅核转宝安县深圳(沙湾)水库工程设计请审批函》要求:按香港每天需水量8000万加仑设计,由深圳水库每天供水3000万加仑;该工程所需劳动力最高达1万人,需胶轮手推车2000部,施工所需拖拉机8部……此外,县方在施工中应自力更生,充分利用当地已有的木轮车等土工具。
1959年8月19日、広東省委員会は深センダムの建設を承認した。『宝安県深セン(沙湾)ダム工事設計承認申請に関する広東省水利電庁の回答』では、深センダムは香港が毎日必要とする水8000万ガロンに基づいて設計され、深センダムから香港へ毎日水3000万ガロンを給水するとのこと。また、この工事に必要な人手は最高1万人に達し、ゴム車輪の手押し車2000台、トラクター8台……この他、宝安県が工事中に自力更生すべき、現地の木輪車など伝統的な古い道具を十分に活用すると要求した。
1959年11月15日,深圳水库开始动工。在当时,没有现代先进的技术,用的是人海战术,近4万民工用最原始的锄头、手推车在坝上奋战。工人夜里直接躺睡在了工地上,第二天醒来又继续施工。
1959年11月15日、深センダムが着工した。当時は現代のような先進的な技術はなく、4万人近くの建設労働者が最も原始的な鋤や手押し車を使ってダムで奮闘していた。夜になると、彼らは工事現場で眠り、翌日起きたらまた工事を続けた。
历经4个多月的奋战,1960年3月,深圳水库正式竣工。据《东江——深圳供水工程志》记载,1960年11月,港英政府首度与广东省政府达成协议,每年由深圳水库向香港提供50亿加仑淡水(约1893万立方米)。1961年2月1日,深圳水库正式向香港供水。
4カ月以上の奮闘を経て、1960年3月、深センダムが正式に竣工した。『東江―深セン給水工程志』によると、1960年11月、英領香港政府は広東省政府と初めて合意を交わし、毎年深センダムから香港に50億ガロンの淡水(約1893万立方メートル)を供給することとなった。1961年2月1日、深センダムは香港に正式給水を開始した。
深圳水库建设场景(图片由深圳美术馆提供)
深センダムを建設しているシーン(写真は深セン美術館より)
深圳水库旁边山坡上的“一定把深圳水库建好”,是老一代建设者无私奉献的写照,也是深圳对一河之隔的香港同胞最深切的挂念。
深センダムのそばの斜面に書かれている「必ず深センダムの建設を完了させるぞ」は、無私の精神で献身した先輩建設労働者の姿を映し、深センが河を隔てた香港の同胞に対して最も感慨深い思いを持っていることを示している。
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来源:深圳市档案馆、i深圳
提供元:深セン市档案館、i深セン
编译:深圳政府在线、GDToday、Shenzhen Daily
編集・翻訳:深セン市政府ポータルサイト、GDToday、Shenzhen Daily